つい先日、オンライン授業でこんな瞬間がありました。中級の読解授業でのことです。「お茶」の呼び名(CHA、TEAなど)によって、かつて中国からお茶が伝わったルートや時期が推測できるといった内容の文章でした。遣唐使による日中の文化交流や、いわゆる大航海時代のヨーロッパなどに思いを馳せ、「呼び名に歴史あり」の面白さを感じさせつつ文章に誘(いざな)えればと考え、羊羹、金平糖、天麩羅の由来をクイズ仕立てで紹介していた時、学生から弾んだ声が飛びました。
「先生!この犬、服を着ています!」
「わあ!こんな昔から愛犬家が考えることは同じだったんだ!」
ポルトガル人の様子を描いた絵巻物をよくよく見ると、小さな犬が、歴史の教科書でお馴染みの大きな白襟ファッションを纏っているではありませんか。準備した私も気づかなかった、学生の「大発見」でした。ささやかな興奮、しかも本筋から外れた事柄ではありましたが、こんな瞬間が、場の雰囲気を温め、一体感を生み、共に文を読み進めていくワクワク感をもたらしてくれることを、私は長い日本語教師生活の中で何千回、何万回と感じてきました。
ある科学者が「目がキラリと輝くのは漫画の世界だけじゃない。人間は何かに興味を持つと実際に瞳孔が開くんだ。」と言っていました。「やっぱり」と思いました。学生の目を覗き込むわけではありませんが、教室に立っているとそれを肌で感じることがしばしばあります。オンライン授業では画面越しで表情が読みづらい上に、顔出しNGの学生もいます。でも、だからこそ、彼らの瞳孔が開く瞬間を、その反応や声の調子などからキャッチし、学生と一緒に授業を作り上げていく醍醐味は、もしかしたら対面授業以上かもしれないと感じています。アナログ人間の私にとって受難でしかなかったオンライン授業が、こんなやり取りを繰り返すうち、新たなやりがいへと変わりつつあり、ここでの工夫が、ひいては対面授業での自分にも新風を吹き込んでくれるのではないかとさえ思える今日この頃です。この仕事、まだ暫くはやめられそうにありません。(竹田)