私の担当していたクラスで、九州の大学の大学院を受ける学生がいました。彼は自分で教授と連絡を取り合っていて、順調に準備が進んでいる報告だけ聞いていました。しかし、学生の立場で考えると、面接を受けるだけでもかなりのプレッシャーなのに、そのうえ九州まで行くとなると移動にかかるお金や、知らない土地へ行く不安など色々大変だろうと心配していました。そんな時、その大学の教授がたまたま東京へ出張に来られるという幸運があり、彼の面接は東京の空港内で行ってもらえることになりました。私も学生も本当に良かったと安心しました。
そして、面接の翌日その学生に「面接はどうでしたか?」と聞いたところ、とても悲しそうな顔をしたのです。私は何か分からない日本語があったのか、聞かれて答えられないことがあったのかと、色々考えました。しかし学生の答えは「とても残念です、教授は羽田空港に、私は成田空港に行きました、だから会えませんでした」と答えました。
留学生にとっての空港は、成田空港で疑う余地がなかったのです。彼はちゃんと確認しなかったことをとても後悔していましたが、私も学生の立場を考えればそのくらいの予想はできたはずでした。一言、羽田か成田か聞いていればこんなことにならなかったと、深く後悔しました。日本人にとっての当たり前と留学生にとっての当たり前は、全然違うのだと再認識しました。この当たり前の違いによって、日々面白い出来事が次から次へと起こるのが日常ですが、今回はとても残念な結果になってしまいました。
その後、その学生は再び教授と連絡を取り合い、九州へ面接を受けに行き、嬉しそうな顔で「合格しました」と報告に来てくれました。(倉本)