-共通語の成立過程-
「標準語」は東京の山手ことばを土台に、国が定めたものです。日清戦争後、国家統制策の中で「標準語」を正しい、美しいとする考え方が、「方言」を排除する方言撲滅運動を生み、太平洋戦争が終わるまで続きます。戦後も、「方言」を恥ずかしいものと思う方言コンプレックスは、長く残っていました。また一方で、文化的にも歴史の長い関西語を「標準語」に加えるべきとする民族学者梅棹忠夫氏の「第二標準語論」なども出たようです。
一方「共通語」は、実体としては明治初期に東京山手ことばが「共通語」化していたものの、公にこの用語が使われたのは、時代が下り戦後になってからです。1949年(昭和24)に国立国語研究所が福島の調査地域で“純粋な方言”と“標準語ではないが標準語に近いもの”を使い分けている状況をみて、「方言」ではなく「標準語」でもないものとして使った用語です。その土地の「方言」を理解できない人たちとの会話や、あらたまった場で使われているのが「共通語」ということになります。私も高校生のときに、道を尋ねてきた男の人たちに東京の雰囲気(?)を感じて、高松弁ではなくちょっと「標準語」らしい言葉「共通語」(表現は東京の言葉でも、イントネーションは怪しい)で緊張気味に答えていたのを思い出します。こういうことはよくありますね。
また、この「共通語」という用語は、「標準語」との内実の違いよりも「標準語」という用語のもつ統制の臭いに対する拒絶反応を背景に、一般に特に国語教育の場で急速に広がったと言われています。単に用語の言い換えとしても使われたので、区別がつきにくいんですね。
『標準語と方言』(文化庁1977)では「現在では、方言に対する国語教育の考え方は、共通語の存在意義と方言のもつよさを理解した上で、共通語が必要に応じて使いこなせることを中心にしている」と述べられていて、「標準語」という用語が出てきません。最近、NHKのテレビ番組でも「共通語」という言い方をしていました。
(た)つづく