-標準語の成立過程-
日本での「標準語」と「共通語」の成立過程をみていきましょう。
政治の中心である東京には、江戸時代から参勤交代などで全国各地から多くの人が出入りしました。異なる地域の人が互いの「方言」でコミュニケーションするには、意思疎通を図る上で何かと不便だったのでしょう。武家や文化人など中流の教養層が住む山手ことばが全国で通じることばとして「共通語」化していったということです。新しい時代を主導した薩摩や長州のことば(薩摩ことばを真似たり、学んだりする人もいたそうですが)ではなく、江戸の生活・文化の繁栄を支えた人たちが使う下町ことばでもなく、特定の臭いの少ない山手ことばが「共通語」化したのは、時代の急激な流れやパワーバランスが背景にあるようです。ここまでは自然発生的なことばなので、この時期の「共通語」と言えるでしょう。
その「共通語」化した東京の山手ことばを土台にして、国が定めたのが「標準語」です。1902年(明治35)、国語調査委員会が文部省に設置され「方言を調査して標準語を選定する」とし、1904年(明治37)には全国の小学校で使われる国定教科書がスタートします。自然発生的にできた東京の山手ことばだけではなく、地方語のよいものや文語も考慮に入れたという話があります。理想を求め、人工的であるが故に「標準語」なんですね。その一例として、親族名称「おかあさん」が有名です。東京で一般的に使われていた「おっかさん」ではなく、西日本の一部で使われていた(どこの地域にもない新しい言葉だったと書いている人もいます)「おかあさん」が採用され、現在は広く定着しています。
当時、小学校就学率の全国平均が94.4%だったそうですから、国定の教科書に使われた「標準語」は読み・書きの言葉として全国に浸透するのに大きな成果があったといわれています。影響の大きさが想像できますね。
(た)つづく